講話「日本CEのあるべき姿」      名誉理事長 稲垣守臣


はじめに
 今日は、お忙しい中をわざわざ遠いところまでお出でになり、ご苦労さまでございます。
 短い時間ですが、「日本CEのあるべき姿」について、私の思うところを述べさせて頂きます。


1.共励会との出会い 〜 高校生献身修養会の開催
 まず、私が共励会に入った経緯(いきさつ)から、お話しします。
 共励会は、戦前からあったのですが、私が共励会の存在を知ったのは、終戦後のことです。それまで、私は、共励会というものを知りませんでした。
 私が、まだ、同志社の神学生であった頃、私より三年上級に平山昭次という神学生が居ました。戦後、きわだって急進的な考え方を主張して、教界にセンセーションを巻き起こした人物でしたが、私と彼は寮が同じで、彼の部屋が私の部屋の向かい側であったこともあり、非常に親しくしておりました。いつも彼と行動を共にしており、当時、所属していた京都教会で、日曜学校 〜今の教会学校ですが、その教師も一緒にしておりました。
 平山神学生は、卒業後、霊南坂教会の副牧師になり、当時は献身伝道運動に熱中していました。全国から青年を集め、献身者を起こすための夏期修養会を開くというものでした。青年たちを5班に分け、数人の牧師が指導者となって引率し、日本中、当時ですから、満州、朝鮮、樺太にまで伝道旅行を行い、終わってから伝道報告をもとに献身修養会を開いていました。
 1941(昭和16)年の夏、戦争の始まる前でしたが、私もこの運動に参加致しました。当時も牧師が足りませんでしたから、何とか若い人の中から、神学校へ行って牧師になろうという人が出て頂きたいものだという思いからの運動参加でした。イエスさまは、「収穫は多いが、働き手が少ない。」(マタイ9:37)とおっしゃいましたが、この献身伝道運動は、この聖句に立っての運動でありました。
 この運動を、私は、戦後も引き続き高校生を対象にやりたいと考えました。奥 興牧師が近所でしたので、私は、奥牧師を誘い、高校生献身修養会の指導者になってもらいました。
 この運動は、全国へ伝道旅行を敢行して献身修養会を開催するわけですから、それなりの費用が掛かります。その費用を調達するために募金をはじめました。クリスチャン実業家が経営する企業を回って、寄付金をお願いすることにしたのです。
 ある日、私と奥牧師は、アサヒスレート株式会社に秦孝治郎社長 〜組合教会の信徒で、後に同志社の理事長を務めた方ですが、その人を訪ねて、高校生献身修養会の趣旨を説明し、寄付金をお願いしました。 秦社長は、黙って趣意書を読んでおられましたが、やがて顔を上げて言われました。
 「この運動の趣旨は、わたしたちが戦前からやっている「共励会」の趣旨と全く同じだ。どうでしょう、先生たちが考えておられる「高校生献身修養会」を、共励会の主催でやってくれませんか。費用は全額持ちますよ。」
 これは有り難い、と思いました。経済的負担なくして、高校生献身修養会が持てるというのですから。教会観さえ同じであれば、主催の名称がどうであれ、献身修養会が開催できて、献身する青年が出て、神学校へ行く青年が出ればよいわけです。
 秦孝治郎氏は、「共励会」の趣旨について、説明して下さいました。「キリストと教会のために」仕えようと志す信徒運動であること、この運動は、1881年にアメリカ・ポートランドのウイリストン会衆派教会(組合教会)でフランシス・E・クラーク牧師の提唱により発祥したこと、この運動は世界的な運動であること、日本には1885(明治18)年に同志社創立賛助者ジェローム・デヴィス博士により伝えられたこと、などでした。また、秦孝治郎氏ご自身が日本連合キリスト教共励会の理事長を務めておられることも知りました。
 この話を聞いて、私と奥興牧師は、「共励運動」とは誠に結構な運動であると賛同致しました。爾来、毎夏、高校生献身修養会は「共励会」主催で開催して来たわけです。
 終戦から間もない1948(昭和23)年、このようにして、私は「共励会」を知り、秦孝治郎理事長から理事を仰せつかったのでした。

2.「高校生献身修養会」から「ジョイント・キャンプ」へ
 ところが、1970年代(昭和45年〜)の半ば頃になりますと、同信会(同志社大学神学部出身の教職者による伝道団体)所属の一部先生たちが、従来の献身修養会を「同信会主催」による高校生献身キャンプとして関東と関西で始めました。そして、共励会とは別個に同信会主催で高校生献身キャンプを開催するという申し出がありました。それはそれで、結構なことには違いありません。
 当時、わたしは、阿部義宗先生の後を継いで理事長を務めていましたので、今後、高校生献身修養会のあり方をどうするか、決断しなければなりませんでした。熟慮検討いたしました結果、従来の共励会主催による高校生献身修養会を止(や)めて、新たに大学生を含む青年キャンプを「ジョイント・キャンプ」と称して始めたわけです(1977(昭和52)年6月理事会)。
 
 対象は、高校生に限らず、主として大学生を含む青年のほか、一般成人など幅広い層としました。その目的とするところは、一般信徒の中から、共励精神で、信徒であっても牧師のようなつもりになって伝道する人を起こそうというところにありました。
 今までは、若い人の中から神学校へ行く人を起こすことを主眼として運動を進めてきましたが、これからは、信徒一人びとりが、牧師のような気持ちで教会に献身していく運動を進めることになりました。「キリストと教会のために」即ち「For Christ and the Church」という共励精神に基づいて、全ての信徒が献身奉仕するようにしよう、そういう運動を進めて行こうという風に、共励会は衣替えをしたのです。
 衣替えをしてから、共励会へ入ったのが、米倉安雄君です。当時、米倉君は建設省土木研究所に務めており(1978年〜80年)、私が牧会する日本基督教団筑波学園教会の信徒であり、役員でありました。私が目を付けて、共励会の「ジョイント・キャンプ」に誘い、また世界大会にも誘って育成したのです。
 米倉君は、共励運動の趣旨をよく理解して積極的に参画する人となり、今では理事長を務め、また世界連合キリスト教共励会でアジヤ地域を担当する副会長にまでなっています。
 ほかにも、衣替え後の「ジョイント・キャンプ」を通して、教会の内外でよく奉仕する信徒に成長してくれた青年たち〜今はもう青年ではありませんが、その人たちの名を挙げることができます。

3.共励運動は信徒運動 〜 共励運動の基本的な考え方
 ところで、キリスト教共励運動の基本的な考え方は、先ほど紹介のところで司会者も申しておりましたように、この運動はあくまでも「信徒運動である」ということです。 
 これは共励運動の基本的原則であり、私はこのことを一貫して言い続けて参りました。
(1)共励精神に立って 〜 秦孝治郎氏のこと
 秦孝治郎氏は、牧師ではなく、信徒でありました。同志社大学経済学部出の実業家でありましたが、戦前から牧師に交じって共励運動に携わり、戦後は理事長と会長を歴任し、世界連合キリスト教共励会のアジヤ担当副会長まで務めた人です。その間に、共励叢書「献金のよろこび」を執筆して信徒を励ましました。
 また、永年、同志社大学の理事長を務めました。総長をはじめ教職員や学生の信頼が厚く、名理事長の評判が高い人でありました。秦孝治郎氏のこれらの活動は、共励精神に立っての活動であったのです。
 日本の信徒ひとりびとりが、秦孝治郎氏のように、「キリストと教会のために」献身奉仕する人になって頂きたいものです。
 「キリストと教会のために」といいますが、「キリストのために」ということは、「教会のために」ということであり、神学的には「教会のために」ということと同じことです。私たちが「キリストのために」することは、「教会のために」することです。
 
(2)共励精神に立って 〜 荒川文六氏のこと
 私が共励会に携わることになってから、まだ終戦間もない頃でしたが、共励会の集会をするために、九州に参りました。九州地方の組合派系の教会には、戦前から共励会がありまして、訪問いたしました日本基督教団福岡警固教会もその一つでした。
 その教会に、荒川文六氏という信徒がおりました。当時、九州大学の総長をされていた方です。この方は共励会の会員でもあったのですが、私にとって非常に印象深いことがありました。
 その頃、教会堂に入るときは、靴を脱いでスリッパに履き替えなくてはなりませんでした。荒川文六氏は、日曜日が来ると、誰よりも早く教会へ出掛けて行き、スリッパを出して教会堂入口の床に並べる奉仕をされていたのです。それが自分の共励会員としての奉仕だとご自分で言っておられました。
 教会の誰もが、荒川さんは九州大学の総長であるということを知っています。その荒川さんが、誰よりも早く教会に出掛けて、信徒たちが履きかえるスリッパを並べておられる姿を見て、信徒たちは啓発されるわけです。
 そして、第二、第三の共励精神で奉仕する人が出て来て、終戦間もない頃の福岡警固教会は大いに栄えたのです。
 
 信徒が教会の中で、自分のできる仕事、自分に合う仕事、自分に与えられている賜物を生かせる仕事を探し出し、その仕事を自分が受け持って奉仕していく。―― それが、「キリストと教会のために」という観念に結びついていくわけです。奉仕するその信徒は、キリストに目が向いているわけです。キリストのためになることは教会のためになることであり、キリストがよろこぶことは教会がよろこぶことにほかなりません。このように教会に奉仕する信徒は、信徒運動である共励会から生まれて来ます。
 
 どうか日本の共励会から、「キリストと教会のために」献身奉仕する信徒が、どんどん出てほしいものです。私は、日本の共励会はそういう信徒を生み出すことを目的として、信徒運動としての共励運動を推進してもらいたいと切望しています。

4.共励運動は教会のために存在する運動
(1)牧師を補佐する働き
「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25:40)とイエスさまが言われたと聖書にあります。ということは、「この最も小さい者の一人にしないのは、わたしにしないことなのだ。」ということになります。 
 ですから、求道者ひとりびとりに対しては、先ほど話したように来会者のためにスリッパを並べるといったような例に見るように、きめ細かい心の通った配慮を怠ってはならないと私は思っています。
 以前、日本基督教団霊南坂教会の牧師で吉田隆吉という先生がおりました。訪問伝道を提唱して有益な働きをしていた先生でしたが、私も賛同しその委員の一人となって、訪問伝道を活発に行ったときがありました。
 教会に求道者が来ると、奉仕メンバーであるボランティアに紹介します。そのボランティアは求道者の教友となって絶えず接触します。その求道者が礼拝を欠席すると葉書を出し、訪問します。そういった状況をボランティアは決められたフォーマットのカードに記入して牧師に見せ、そして牧師が対処していく、というシステムでした。牧師を補佐する役割をボランティアが担うわけです。
 こういう「牧師を補佐する働き」をするのが共励会員の働きであり、このようなボランティア活動を共励会の働きの一つとして取り組んでいくとよいと思うのです。
 今、共励会には、牧師のみなさんが理事に就いておられますが、みなさんの教会において、「これが共励会としての、これが共励運動としての活動だ」と言えるものがあるでしょうか。何でもよろしいです、「この一つが共励運動の働きなんだ」と言えるものがあればよろしいのですが・・・・。教会の中に一つだけでもよい、これが共励運動の働きだと言えるものがあれば、教勢は随分と違ってくると思うのです。
 
(2)一人一役
 共励運動の提唱者であり創始者であるフランシス・E・クラーク牧師が自分の教会で始めた信徒による奉仕業務の原則は、「一人一役」でした。
 クラーク牧師は、まず教会に必要な仕事のリストを作成し、そしてその仕事を信徒一人びとりの賜物を勘案して頼んでいくという方法をとりました。そして、クラーク牧師は、その信徒が、依頼した奉仕をやってくれるかどうかをフォローしたのです。信徒にもいろいろ事情があって、牧師に奉仕を依頼されても出来ない場合があります。また、出来ない人もいます。また、信徒が奉仕を引き受けてやってくれても、それが牧師の考ていたこととは違う方向に行ってしまったのでは困ります。クラーク先生は、そこのところをきちんとフォローなさったのです。
 共励運動は信徒運動であるから、牧師は信徒に任せておけばよいというのでは、無理があります。共励運動は信徒運動ではありますが、その運動は信徒が「教会のために」奉仕する運動です。教会にはその教会を牧会し伝道する牧師が居るのですから、信徒の奉仕も牧師と一枚岩でなければならないわけです。ですから、牧師は信徒による教会内の奉仕活動をよく見ていないといけません。
 教会が共励運動を取り入れて、それを正しく運営していくということは、その教会の牧師にとっては、息の抜けない大変なことであるともいえないわけではありません。
 
 共励運動は、「教会のために」奉仕する信徒運動です。秦孝治郎氏も荒川文六氏も信徒でありました。諸外国の共励会の理事は、みな信徒が就いているではありませんか。近年、日本の共励会も、理事長、書記、会計、「共励」の編集者をはじめ理事や監査役に信徒が就くようになってきましたが、全体から見ればまだまだの感があります。
 日本におけるキリスト教共励運動は、この運動の原点を振り返って、どこまでも教会のために存在する信徒運動であってほしいと心から願っています。
 
5.むすび 〜 全信徒が共励会の会員に
 私は、組合教会 〜組み合わされた教会という意味で、会衆派又はコングレゲーションともいいますが、そこの牧師で、幸せであったと思っていることがあります。
 組合教会では、信徒が教会の運営をはじめ教会の仕事を全部担ってくれます。「牧師は立派な説教をして頂きたい。立派な聖書研究をして頂きたい。他のことは、信徒にお任せください。」という考え方が、組合教会にはあります。
 例えば、教会の総会ですが、議長は信徒が務めます。よその教派の総会を見ていますと、牧師が議長を務めていますね。それはそれで、一つのお考えがあってのことでしょうが、組合教会は違います。信徒が議長に就き、総会を運営していきます。この例にみるように、教会の管理運営に関する業務は、みな、信徒が中心になってやってくれますから、牧師は、牧師の本来業務である伝道と牧会に専念することができますので、非常に助かります。
 このように、教会の業務の全てについて、伝道活動にしても、信徒が主になって教会の運営に当たるというのが正常であると、私は思っております。
 マルテイン・ルターの宗教改革の精神は、「万人祭司」ということでありました。これはプロテスタント思想であります。
 私はそういう風に考えて、理想的にいえば、教会の全信徒が共励会の会員になって頂くのがよいと考えています。
 どうか、日本連合キリスト教共励会は、そういう運動を展開して頂きたいという希望を申し上げまして、本日の私の話を終わりたいと思います。ありがとうございました。
(拍手)


講話中、聖書の引用箇所

(1)マタイによる福音書第9章37節
そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。」
(2)マタイによる福音書第25章40節
そこで、王は答える。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」


[付 録]  講話後の質問の答えから(その一つのメモ)
1.信徒団体の目的について(答の一部)
 その信徒団体の目的により、よろこばせる対象は誰かということが分かれば、その団体の性格が明確になります。「神」をよろこばせるためのものか、「人」をよろこばせるためのものか、という問題です。
 共励運動の母体である「共励会」の目的が、よろこばせる相手としているのは、「人」ではなく、「神」であり「キリスト」です。共励運動の目は、「神」に又「キリスト」に向けられています。 これからの共励運動も、この点に留意して運動を推進するならば、必ず成功するでしょう。
 
2.日本における「共励会」と「メソジスト教会」との出会い(答の一部)
 戦前、日本メソジスト教会には、「共励局」が設置されていました。
 日本CEの初代会長は、原田 助牧師(1863-1940)でした(1983(明治26)年日本CE第一回大会)。原田牧師は米国に留学したとき、共励運動の創始者であるフランシス・E・クラーク牧師と同級でありました。原田牧師は「共励運動」を携えて帰国し、自分が赴任した神戸教会で「共励会」を始めたのですが、この運動は一教会にとどまるものではなく全教派にも伝えなくてはならないと考え、日本メソジスト教会のビショップ本田庸一牧師(1848-1912)〜同教会初代ビショップ〜に会って話しました。本田牧師は賛同して、日本メソジスト教会の青年運動はこれでなくてはならないと考え、同教会に「共励局」を設置しました。これにより、戦前の日本メソジスト教会は、どこの教会にも共励会があり、活動していました。しかし、時局を背景とした1941(昭和16)年の日本基督教団成立に至り、その年度をもって解消されました。各教会の共励会は 青年会となって継承されています。
(2005/08/04稲垣守臣校了)